恍惚の人

同棲時代

1974年3月頃まで、私は種子島に住んでいました。

私は西之表港の近くに住んでいたのですが、その自宅からさほど遠くない場所に映画館がありました。この映画館の入り口に由美かおるさんの実物大パネルが置いてあったことを鮮明に覚えています。人型に切り抜かれたものですね。

これがまた、全裸になった彼女が後ろ向きの姿勢から振り返っているというもので、私たち小学校低学年の子供にとっては実に話題性のある置物でした(笑)。私自身何度も見に行ったり触りに行ったりした記憶があります…。

今、ネット画像を調べてみたらこの立て看板は「同棲時代」という映画のプロモーション用に置かれたものだったことがわかりました。私の記憶している映像がそのまんま、出ていましたよ(苦笑。

由美かおる DVD-BOX

同棲時代 今日子と次郎 当時の立て看板はお花で隠れていませんでしたよ

まだ見たことないんですよね。この映画。36年の時を超えて、一度見てみようかな?

閑話休題。

私が記憶している限り、初めて劇場で映画を鑑賞したのがこの映画館になります。鑑賞したのはもちろん「同棲時代」ではありません(笑。父と母は何か思うところがあったのでしょう。1973年当時は私は7-8歳、弟は5-6歳と幼かったのですが、その映画に一緒に連れて行かれたのでした。

恍惚の人

それが、そのときに見た映画のタイトルになります。

恍惚の人

恍惚の人

子供心に、この映画はものすごい映画だったと記憶しています。最後のほうは特に衝撃的で、今でも脳裏に鮮明に浮かぶほどのシーンです。1973年にたった1回、見ただけなのに。

今、私も中年とか言われる年代にいますが、今だに自分が「若いのだ」と思い込もうとする自分がいます(苦笑。36歳くらいから故障も多くなってきているというのに認めたくない。それは、7歳とかでこの映画を見てしまった「トラウマ」によるものかもしれません。

しかし、これまで生きてきた中で曾祖母が認知症を煩ったり、大好きだった祖母までが同じようにどんどん周りのことがわからなくなっていったりするという体験をしました。少子高齢化が進んだ今の日本では深刻な問題になっていますが、1973年の段階でこの映画が作られ、父と母がこの映画を私に見せ、その時の衝撃は未だに覚えていること、これは私にとって大きな意味を持っているような気がします。

私の両親は健在ですが、今後10年くらいでどうなっていくのか、私や妻だってどうなっていくのか、今はわかりません。ですが、この映画の内容が現実に起こる可能性は決して低いとはいえません。そんなとき、私はどうするのか、どうなっていくのか、真剣に考えていく必要があるでしょう。

主演俳優の森繁久彌さんは当時60歳くらいでいらしたのですかね。恍惚の人を演じられたあと、36年生きられ、大往生を遂げられました。後輩の俳優さんを先に亡くされ、悲しんでおられた晩年のお姿が目に浮かびます。

たいへんお疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (5件)

  • こんにちは。
    森繁さん、お亡くなりになりましたね・・・96歳でしたか、大往生ではあったと思います。
    芸歴が70年以上というのはもの凄いですよね。間近でお会いしたらたぶん、凄いオーラを感じるのだと・・。

    しかし・・(苦笑) 由美さん、お綺麗ですよねぇ。未だにあの美貌ですから・・。
    (↑)の映画は知りませんでした。実物大パネルも見た記憶がないなぁ・・と言うか、忘れてしまったかな?
    由美さんと言えば、キンチョーの看板が有名ですけど(笑)、未だに田舎の方で朽ち果てたヤツを見ると・・
    ちょっとドキッとしますね。当時、かなりの“セクシー路線”でしたから。

    種子島にお住まいだったとのことですが、その当時から宇宙センターはあったんですか?
    (たぶん、無かったと思いますが)実は私、訪ねてみたい観光地? のリストに入っている所なんですよね。
    NASAの方はちょっと遠いので(爆) 一度種子島に行ってみたいです。

  • こんにちは。

    > 森繁さん
    すごく存在感のある方でしたよね。
    恍惚の人は当時60歳でありながら、84歳の高齢者を演じたものだったらしいです。
    いまだ忘れられない、劇場初鑑賞の映画です。
    しかし、子供の頃に見た映画というのは意外に記憶に残っているものですね。
    その1年後に鹿児島市内の映画館で見たと思われる「マジンガーZ対暗黒大将軍」の衝撃もよく覚えています。
    当時マジンガーZの絵を良く描いていましたが、この映画を見たあとは、しばらく「傷ついたマジンガーZ」の絵ばかり描いていたのを覚えていますよ。

    > 由美さん
    本当にお美しい方ですね。キンチョーの看板も懐かしいです。
    それでもやはり私の中の由美かおるイメージは、あの映画館の前の立て看板のままですね。
    しかし、今考えればよくあんなパネルを老若男女が通る道路に面した映画館の前にどーんと置けてたなあ、と思います。
    今だったらPTAから苦情が出ますよ(苦笑。

    > 種子島宇宙センター
    私の在住当時は聞いたことがなかったのですが(幼すぎて記憶していないだけかも)、1969年設立になっていますね。
    ということは恍惚の人と同じ1973年の作品である同棲時代のころは設立後4年くらいだったということですか(あ、燃えよドラゴンも1973だ)。
    その後里帰りも何回かしているのですが、一度も行ったことがありません。

  • あぁあああ・・・墓穴、掘ってしまいました・・・(爆死。

    そうそう、コレでしたね! イャ〜〜〜失礼しました。
    では、さっそく頂いて壁紙に・・・(半分ホントです)

    わざわざ探してくださいまして、誠にありがとうございました! (ぺこり

  • sadaさん。こんばんは。

    この看板、久々に見て感動しました。私も壁紙にするかな。
    週末、大変かと存じます。またお帰りになるのをお待ちしております。

目次