月刊 秘伝 2010年 12月号 [雑誌]

月刊秘伝
月刊 秘伝 2010年 12月号

月刊 秘伝 2010年 12月号

本日午前中に届いた「月刊秘伝 2010年12月号」はブルース・リーの特集号でした。生きていたら今月27日に70歳になるんです。

この表紙の「武人ブルース・リーの新事実発掘!」に惹かれて購入しました。わざわざ「武人」という言葉がつけられているくらいなので、有名選手とスパーリングしてやっつけたとか、20人に襲われたけど、あっという間に脱出したとか、そういう話が出てきたのか? と勝手に期待していました。実際には私の期待とは異なる方向の新事実でしたが、私が驚いたのは確かで、これまで普通に認識していたことが事実は違ったのだということを理解しました。私にとっては少し寂しい気持ちになる(私から遠くなる?)情報でしたが、知りたい方は(↑)を買いましょう。私はAmazonで購入しました。この雑誌は全体的にオカルトチックな武術情報が多いと思って敬遠していたのですが、こういう形でブルース・リーを特集してくれたのは嬉しかったですね。

最近気になっているのが、ブルース・リー対羅漢拳の達人、ウォン・ジャック・マン氏との死闘のエピソードです。この戦いをきっかけにブルース・リーは詠春拳から離れ、その結果截拳道が誕生したのであるとされています。

当たり前かもしれませんが、これについてはブルース・リー側が主張している話とウォン・ジャック・マン氏の主張している話が異なります。これについてはどこかで書こうと思いますが、このエピソードについては正直違和感がぬぐいきれません。

広く知られているブルース・リー側の主張を信じたとして、このときのブルース・リーの戦い方があまりにも「ヘン」すぎるのです。詠春拳の直拳を連打して、相手が後ろを向いたからそのまま打ち続けたとか、ありえないです。その理由付けとして「正当な詠春拳の技で勝ちたかったから」という説明をブルースはしていたと言いますが、私には直拳の連打のどこが正当な詠春拳の倒し技なのか、全く想像できません。截拳道ではこの技を「ジクチュンチョイ」と呼んでいますが、この呼び方からして詠春拳のものではありません。もしこれがホントならブルース・リーは詠春拳をほとんど知らなかったのではないかとさえ思ってしまいます。

でも、直前の1964年、ロングビーチトーナメントで見せる彼の技はそういうレベルではありませんでした。当時、現場に居合わせた松濤館の大島勉師範をはじめ、多くの武術家を驚嘆させたくらいです。

この話はなんだか、その時の都合によって少しずつ形を変えているような気がして仕方がありません。

ちなみにウォン・ジャック・マンさんの側は20-25分は闘ったし、その間ウォンさんが優位に試合を進めたとか、引き分け(にしてあげた)とか、そういう主張となっています。

1975年、未亡人だったリンダさんの書籍によって本名を明かされたウォンさんですが、この時点で反論せず、1980年頃になって「ブルース・リーの主張は嘘だ」と言い始めたのもちょっと不自然な気がします。中村頼永氏の「奇跡のブルース・リー」では、ウォンさんがリーさん側を訴えたところ、ブルース・リーから3種類の免状を允許されたダニー・イノサント師夫が激怒し、争う姿勢を見せたところあっさり訴えを取り下げたとの話が紹介されています。

今となっては事実は分かりませんが、この話で詠春拳がいつもダシにされるのが私としては正直気に入りません。もしブルース側の話がホントだったとしても、それは詠春拳の責任ではなく、詠春拳を使いこなせなかったブルース・リーのせいではないかと思うからです。

おっと。生誕70周年を迎えるブルース・リー先生を批判しようというのではありません。でも、過去に詠春拳を学んだことがある身として、「これはナイナー」っていいたいだけであります。

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