戦友

空手

(続き)

待ち合わせの友人から電話がかかってきたので、私は量販店のBOSEのコーナーから逃げるように去って(あ、でも最後に聞いたオーディオセットはなかなか良かったですよ)、待ち合わせの場所に向かいました。

私はきょろきょろしながら友人を探していたのですが、気づいてくれたのは友人Eくんのほうでした。その時にイチバンに目がいったのは、高校時代のEくんそのものな感じの姿をした「若者」。そう、Eくんの自慢の息子さんだったのです。似てるなあ。私たちはお互いに年をとりましたけど、もうとにかく懐かしくて嬉しくて。

Eくんの息子さんおすすめの場所に移ったのですが、お互いに年はとっているのでしょうけど、隔たりを感じないのが不思議なんですよ。ちょっと大げさかもしれないけど、数ヶ月前まで一緒に遊んでいた仲のような。

息子さんは大学生ですが、とてもEくんのことを尊敬しているようでとても嬉しくなりましたよ。翌日も授業があるのに、夜半過ぎまでオヤジ2名につきあわせてしまって申し訳なかったですね。でも、高校時代のEくんよりもう少しまじめな好青年かな??

Eくんは高校時代、戦友といってもいい友人だったのですよ。

当時玉龍高校空手道部は3年連続全国大会出場を果たしていました。私たち3年生はここで全国大会連続出場をなんとしても継続しなければならない命題を抱えていたのですが、重大な問題がありました。選手が足りなかったのです。

そこで、1年のときにやむを得ない事情で退部していたEくんに復帰のお願いに行きました。彼は幼少時代からの空手経験者で、柔道や弓道をやっていたこともあり、おそらく猛練習で私たちの水準に追いつくことができるのは彼しかいない、という師範を初め、空手道部総意によるお願いでした。すると、Eくんはそれを快く引き受けてくれたのでした。

正直、難しいかもしれないと思っていたのです。というのは、おそらく当時の空手道部の練習は極端に厳しいものだったし、それに加えて全国大会出場を果たさなければならないという責務を引き受けることはものすごいプレッシャーになっていたからです。それに、Eくんは1年のとき、上級生からあってはならないような暴力的しごきを受けたりしていましたし、実際今でもあごに変形があるのだそうです。私も彼の後同じ経験をしていたので、そういうところに戻ってくるには普通の勇気では無理だと思われました。

しかし、そういう個人の不安やプレッシャーを押し殺し、Eくんは復帰してくれたのでした。いや、今でもほんとうに感謝していますよ。

先生も彼の態度には感激して、「おまえを一番強くしてやる!」と声をかけてくれたのだそうです。このことは今回私もはじめて知りました。

復帰後の練習は相当に厳しく激しいものでした。私たちは「形(カタ)」の強豪でしたので、練習のほとんどもそれに絞られました。私と他の3年生2人は前年もレギュラーで全国大会に出場していましたが、Eくんは当然今回が初めてです。今回改めて聞いてみたら、やっぱり大変だったみたいで、一緒にやる早朝練習、夕方の練習、師範の道場での練習に加えて、自主トレをやっていたみたいです。準備期間は3ヶ月とちょっと。かなり厳しかったのですが、なんとEくんは間に合わせたのです。

そして、県大会の団体形。私たちは力を合わせて頑張りました。ところが、結果は3位の銅メダル。全国大会に進めるのは2位までなので、団体形での全国大会出場は残念ながら3年で途絶えてしまったのでした。

しかし、全国大会出場にはもう一つの道が残されていました。団体組み手での出場です。ただし、この状況は想定外であり、ここ数ヶ月の練習も団体形に絞ったものでした。先生は、「気持ちを切り替え、信じればなんとかなる」と促します。

私はこういった環境への適応が苦手です。いざ、組み手が始まりしたが、全然勝てなかったのを覚えています。それでも、他のみんなが勝ってくれて、どんどんトーナメントを勝ち上がりました。そして、準決勝。Eくんが勝って決勝進出を決め、そこで全国大会出場枠を勝ち取ったのです。彼は「こうやれば勝てる」というイメージを持って、その通りにする力があったような気がしてなりません。

というわけでEくんは苦楽をともにした戦友です。

でも、今回の再会で、実はその頃の彼はいろいろと大変な状況にあったことをはじめて知りました。それも並の大変ではない。自分の苦労を苦労というのが恥ずかしくなりました。自分の場合は、原因が甘えにあったのではないかと。彼はそれを乗り越えて、息子さんを立派に育て、私の前に連れてきてくれました。

私の息子も14歳になりますが、突然無口になって私から見たらそれが歯がゆかったり態度が悪く見えたりします。私はそれに何度か怒りを爆発させたりして、その後悩んだりしていたのですけど、今回それをEくんに相談したらあっさり解決してくれました。「俺んとこもそうだったよ。気にすんなって。完璧なオヤジでいようなんて考える必要、全くナシ」と。

こんな感じでいろいろ夜通し話をしたんですが、なんかいろいろな悩みが解決に向かうような再会で、なんか運命的なものを感じましたね。「必要なときに、必要な師が現れる。」という武術界の言い伝えは事実なのではないかと思い始めました。ここのところそういうことも続いていましたし、今回の再会はその最たるものでした。

Eくんはこれからも戦友(悪友?)で居続けてくれると思います。この再会を大事にして、いろんなことをつなげていきたいと切に願いました。

ちなみに、このEくんは日本初の「ドクター・ヘリ」の立ち上げに関わった熱い人ですよ!

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