空手道入門 (1967年)

空手入門

空手道入門 (1967年)

私が武道に一番最初に興味を持ったのは、私が鹿児島県西之表市に住んでいたときですので、おそらく最古の記憶がある3歳から7歳くらいの間のことだったと思います。
当時母方の実家のお風呂は五右衛門風呂で、毎日薪や板を燃やしていました。ある日、近くにいた父が厚さ1cm程度の板を左手の上に載せ、反対側の手刀を振り下ろして真っ二つにしてしまいました。あまりに見事に、あっさりと割ってしまったので「もう一回見せて」と私が頼むと、何度か繰り返し割ってくれました。一度も失敗することなく、本当に簡単に割ってしまうので私もまねしてみましたが、当然できるはずもありません。
「これはいったい何?」と確認すると、「空手の技だよ」といいます。
「すごい。空手って」と私はそのとき思いました。
父親が正式に空手を習ったことがあるのかどうかは、実は未だに謎だったりしますが、その答えの一端を父の本棚に見つけることができました。父の本棚に置いてあったのは、この『空手道入門』でした。遠山寛賢という独特の風貌をした先生の写真を見て、子供心に「この人はただ者じゃない」という感想を持ったことを覚えています。もともとソフトカバーの本だったと思われますが、私が見たこの書籍はすでにカバーが失われていました。
多分私が初めて目にしたのは小学校低学年のときだったはずですが、漢字だらけで、分解写真に「一の呼称で」などと意味がわからない解説があったにもかかわらず? かなり楽しんで読んだ記憶があります。特に興味深かったのが、錆びたボルトを素手で回したエピソードと、米兵数人に殴りかかられたが、呼吸法で跳ね返したエピソードですね。
その後私が高校の空手部で剛柔流空手を習うようになり、この書籍を何度も読み返すようになりました。ほかの学校の生徒が実演する型と、この書籍で紹介される型には大きな違いがあるなあ、と感じたのを覚えています。最近見た本部朝基先生の写真などと照らし合わせても、やはり私のライバル校の生徒が実演していた型はやはり競技用に改変されているのだろうと感じます。もちろん、私自身が練習していた剛柔流の型も「競技のときはこうしなさい」という指示があったので、道場での練習はまたことなるのかもしれませんが。
この書籍で遠山寛賢先生は、「空手に流派の成立つ理屈がない」「多少の相違は認めるにしても、これは空手修業上、当然の使いわけ」と述べています。確かに本質的な面ではそういうとらえ方もあるのかもしれませんが、私自身はやはり団体によって一つ一つの技の軌道もコツも、かなりの相違があるため、この書籍が出た当時であっても「流派が存在すること」を完全に否定することは難しかったのではないかと思います。

現在は、この書籍は父から譲り受けて私の蔵書に収まっています。
この書籍にはハードカバー版(1969)が存在しますが、こちらは1987年に古書店で入手しました。現在、傷みが激しい父親からもらった書籍の変わりに、こちらのハードカバー版を読むようにしています。

先日、妻の実家に遊びに行ったとき、川原で石割をして楽しみました。このとき、5歳の次男も、薄い石ではありましたが石割を成功させてしまい、びっくりしました。長男が初めて石割をやったのも7歳のとき。私が5歳や7歳のときからは考えられないことですね。私も負けられないので、私の前腕より太いような石で試してみました。川原の石は全体的に割りやすいですけど、難易度は石の種類によりますね。砂岩は簡単に割れますが、きめの細かい石は何発もたたきつけないと無理でした。
私が幼児のときにあこがれていたことに5歳と11歳の子供たちがチャレンジする。なんか、不思議な感じです。

2007/05/20追記
今、私が所持している2冊の書籍を改めて引っ張り出して調べてみました。
父が持っていた書籍は『空手入門』というタイトルで、序言の前のページには「空手道入門」と刻印されています。発行所が「元文社」となっていて、発行日は1968年4月10日です。私が持っているハードカバー版が『空手道入門』というタイトルで、発行所は「鶴書房」となっています。こちらは1969年5月10日発行。
両者の中身は同じで、掲載されている写真は、個人的には前者のほうがきれいであるように感じます。
「元文社」版の前書きには「鶴書房編集部の各位に対し厚く感謝の意を表する」とあります。また、元文社と鶴書房の住所は同じですから、1968年前後に名前や経営が変わったのかも知れませんね。いずれにしても、鶴書房はすでに存在しないそうですから、事実関係が確認できません。

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