あともう少しで3/11も過ぎようとしています。
1年前の今日、他社の事務所にいました。運良くつながった妻への1本の電話で次男の所在が分からないと伝えられました。学校を出て1時間以上も経過するのに、まだ学童保育に来ていないと。私は幸い自転車でしたので、そのまま学童保育に直行しましたが、学校を出たあと、すぐに呼び止められ、体育館に避難していたという状況だったことがわかりました。すでに妻が連れ帰ったということで安心したのもつかの間。
テレビでは津波の映像が流されていました。次に心配になったのは長男です。校外学習で、東京ディズニーランドに出かけていたのです。すでに液状化を伝えるニュースや、千葉方面の津波の映像が届いていたのですが、全く連絡が取れない状況です。途中、中学校のWebサイトに状況が公開されたのですが、行方が分からない生徒がかなりいるとのこと。未明には全員の無事が確認され、明け方にバスで無事に戻ってきたのですが、恐怖に満ちた一夜であったようです。
しかし、東北から伝わってくる話はこんなものではなかったことは、すべての人の記憶にとどまっていることでしょうし、それは今も続いています。
私の住む東京都では、あの日のことを決して忘れているわけではないのですが、何事もなかったかのような日常が続いています。被災地のために何が出来たかというと、直接的なものでは個人での不定期な募金くらいでした。私にとっては家族を守り、仕事を守るというのが精一杯の行動でした。
まだ大震災は終わっていません。復興も始まったばかりで、原発事故は世界中のすべての人への脅威となっています。また、今後首都圏の直下型地震の確率も非常に高いようであり、常に備えていなければなりません。
今後も、私個人やICOに行えることは限られていますが、3/11を忘れず、自分にできることを実行していこうと思います。