久々に朝ドラのことを書きます。昨日最終回を迎えた「ばけばけ」についてのお話です。
もちろん、この話が史実を元にしたフィクションに過ぎないことは分かっていますが、主役の1人であるレフカダ・ヘブンのモデルは教科書にもその作品が採用されている実在した人物、小泉八雲さん(ラフカディオ・ハーンさん)です。もちろん、それに伴う関係者たちも実在していた人たち。それを考えると、今回の「ばけばけ」での登場人物の描き方はちょっとどうかと思いました。
この作品ではその八雲さんをモデルにした雨清水八雲が非常に寂しい人物として描かれていました。例えば熊本に居を移した際には仲良くしていた錦織さんと交流が途絶えたようなストーリー展開になっていましたね。錦織さんはいじけて見送りに行かなかったような話に変えられている。本当のところは錦織さんのモデルとなった西田千太郎さんの病状が重くて見送りに行けなかっただけなのに。それに、本当は熊本に居を移してからも西田さんが亡くなるまで非常に頻繁に手紙のやりとりをしていたそうです。つまり、実際は二人とも「ばけばけ」で描かれているような、居住地が離れただけで交流が途絶えるような寂しい人物同士ではでは決してなかったわけです。八雲さんの日本への帰化についても、錦織さんのモデルとなった西田さんはとても尽力したという記録が残されており、これも史実とは反対の描き方になっていました。
晩年、東京に移ってから帝大を解雇された八雲さんは「自分を終わった人物」として卑下するような展開になっていますが、実際には多くの学生に慕われ、解雇に当たって反対運動が展開されるほどだったといいます。帝大を辞めたあとも、早稲田大学に講師として招かれたそうですし。何が「終わった人物」なんでしょうか? さらに、八雲さんが亡くなった後の話で、ビスランドさんのモデルとなったイライザさんが八雲さんの妻、小泉節子(小泉セツ)さんのモデルの雨清水トキさん(主人公)を激しく責めるという展開には正直、ビスランドに対して申し訳ない気持ちになりました。八雲さんの死後、ビスランドさんは丁寧なお手紙を節子さんに送り、さらには八雲さんに関する書籍をまとめ、その印税を全て遺族に寄贈するというほどの素晴らしい方だったそうです。
八雲さんと節子さんを取り巻く暖かい人たちを悪者に仕立て上げることで物語を盛り上げる、「ばけばけ」の手法には正直疑問が残ります。だったら、劇中登場した雨清水三之丞さんを美化することなく史実通りに書いてくれたほうが他の方々を下げずとも話の展開を作れたのでは?
「ばけばけ」は総じて、最初から最後まで中身が薄くて、どうでも良いような話が翌日への期待を残すような形で延々と繰り返されるだけのように感じました。(でも、翌日も期待に応えてくれない…)
上記の三之丞さんの話もそうだけど、もっと史実に忠実に書いてくれていた方がむしろ面白い展開になったんじゃないかと、八雲さんや節子さんの伝記や記事を見て感じました。見終わって、視聴者の私が「八雲さん、節子さん、西田さん、ビスランドさん、その他の皆さん、ゴメンナサイ」という気持ちになるドラマは初めてだったかもしれません。
私は結構、史実を元にした朝ドラのときは結構資料を買ったり、記事を集めたりしてその登場人物の基本的な情報を得るのが好きです。今回は下記の書籍を買って、ここでの話を核に記事集めとかをしてました。
「セツと八雲」(小泉凡著)
浪花千栄子さんの話のときは何冊も買いましたしね。
こういうことをしてドラマの展開に茶々をいれるので、作品を純粋に楽しむ妻からはうざがられているような気がします(笑)。でも、彼女も今回は「ちむどんどん」のときのように「何これ…。」という感想を述べていたので、観点は違っても意見は一致したのでしょうか…。

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