本州西部~九州北部にかけて雨の被害が広がっています。私も被害の出る少し前に九州自動車道や山陽新幹線を使ったばかりでした。九州自動車道を走ったとき、山が近い場所ではかなり圧迫感を感じましたが、そのときには土砂崩れによる被害が及ぶ可能性など、考えてもいませんでした。
鹿児島からの帰り、本州でも雨が降り始めていて、その翌日には大きな被害が出ていました。とても心配です。被害地域の皆様にはお見舞い申し上げます。またその周辺にお住まいの方々もくれぐれもご注意ください。
このブログにも書いたことがあると思うのですが、私自身大水害に巻き込まれたことがありました。1982年に起こった「長崎大水害」です。
私たちはこの日、長崎県で開かれた全九州高等学校空手道選手権大会に参加していました。この年は団体型での参加だったのですが、3位を勝ち取って、上機嫌でホテルまでの帰りのタクシーに乗り込みました。タクシーに乗ったとたんものすごい雨が降り出しました。ものすごい雨だとは思っていましたけど、そのときは気にもとめませんでした。
ホテルに着いて少し休んだあと、祝勝会に出ようとしたら、ホテルの従業員の方に慌てて制止されました。「今、市街地にものすごい被害が出ている」というのです。雨が降り始めてからそんなに時間が経っていないのに? 一足先に祝勝会に出た優勝チームはすでに市街地の喫茶店にいたらしいですが、あとで聞いたら窓の外の水位がどんどん上がってきて生きた心地がしなかったそうです。出るに出られなかった、ということでした。
そのあとも時間あたりでは歴代1位の降水量となるような降り方だったのですが、私たちのホテルは高台にあったことで直接的な難は逃れました。その後停電となりましたが、ラジオを聞いていると、すでに死者や行方不明者が出ているということで、ことの重大さがわかってきました。
この豪雨は多大な被害をもたらしました。翌日は晴れたのですが、ホテルに食料が届かないということで、私たちは市街地に出ました。ここで目の当たりにしたのはまさしく地獄の光景でした。道路はトラックやバスなどの大型車両までが流されたり転がったり川に突っ込んだりしていて、たくさんの魚が打ち上げられていました。地下の飲食店などは地上の入り口まで完全に水没していたので、中の人が事前に避難してくれていることを祈ってやみませんでした。あの眼鏡橋も流出してしまったそうです。
そのときの模様は今でもリアルに脳裏に浮かび上がります。写真による記録もいくつかのサイトで公開されていますが、そこには私がかつて見た光景がそのまま記録されており、未だにパニックを起こしそうになります。
スーパーなどはほとんどが水没して売り物にならなくなってしまったといいます。それでも私たちは食べられそうなものを買いました。その後ホテルにはボランティアの方々の炊き出しが届き、私たちは助けられました。もう一泊しましたが、陸路が回復せず、帰りは福岡空港まで回って空路で鹿児島まで帰りました。チャーターしたバスから見たあちこちに見られる崖崩れの様子はきっと一生忘れられないでしょう。
このような経験から、毎年起こる水害については人ごとではありません。どうかこれ以上被害が広がらぬよう、祈るばかりです。