ありがとう

2月8日の深夜のことになる。布団に入った私は何気なく3人いる私の祖母に思いを馳せた。

父方に2人の祖母がいるのだが、98歳になる最高齢の祖母は寝たきりの状態で現在の健康状態は決して良いとはいえない。父方のもう一人の祖母はその妹に当たるのだが、まだ85歳と若く、近所のコーラスグループにも所属するなど元気である。
そしてもう一人は母方の祖母で、現在91歳。
それぞれの祖母の思い出があるが、最若年の祖母以外は何年も会っていないこともあり、思い出されるのは子供のころの出来事が多い。
この日、私の頭に浮かんだのは高齢の二人の祖母だった。
「あのころは元気だったなあ」
「かなりの高齢だが、体調など崩していないだろうか」

翌9日の夕方、妻から緊急の電話がかかってきた。
「おばあちゃんが危篤なんだって」
その名前を聞いて私は愕然とした。危篤状態に陥ってしまったのは、3人の中で一番若く、元気な祖母だったのだ。

5日に、私の母と祖母は話をしたらしい。母は祖母が風邪気味であることに気づいた。
「ちょっと前にコーラスに行ったんだけど、ものすごく寒くて、風邪をひいた」
ということのようだった。
その後、6日、7日と寝込んだらしいが親戚や隣の住人の方が祖母の様子がおかしいことに気づいた。そして救急車で病院に搬送されたのだが、この時点ではまだ意識もあり、「今日はコーラスで写真をとらなきゃいけない日なのに」みたいなことも言っていたようだ。

まもなく容体が急変し、私の父が到着したときにはもうあまりしゃべれないような状態だったらしい。そして、9日の夜、とうとう帰らぬ人となった。

今回葬儀に参列したことで、祖母が過去には大変苦労をしてきた人だったらしいことが初めてわかった。それでも、そのようなことは表には全く出さず、私にとっては祖母はマイペースで常に積極的で活動的な人でしかなかった。食べる量も多く、数年前まで常人の2人前くらいの朝食を食べていたくらいだ。最近、茶飲み友達が倒れてしまったということでかなり元気を失っていたと聞いたが、それでもコーラスグループに参加し、人生を楽しんでいるようだった。

このような積極的な行動は、結果的には祖母の死期を早めたといえるのかもしれない。もう少し注意深く行動したら、風邪や肺炎を防げたかもしれなかったからだ。これを乗り切ることができたら、あの元気さである。もっと長生きしたことであろう。

しかし、そのような積極的な性格でなかったら、この年までこんなに元気でいられただろうか? 最後まで自立し、独り暮らしを貫いて、ぎりぎりまで人生を楽しんだ。その結果、最後まで介護を必要とすることもなく、遺族に長期間の負担をかけることもなかったのである。私は祖母とは全然違う性格だけど、一定の注意深さは保つ必要があるにしても、やはりこういった「積極的に活動して」「自分の人生を楽しむこと」は見習いたいことだと思った。

素直にそう感じた私は、祖母に向かって
「ありがとう」
という言葉を繰り返していた。

祖母が荼毘に付され、お骨になったときに私は妙なところで感心してしまった。祖母の骨は非常に太く、骨の内部の海綿質という部分もはっきりと確認できるような状態だったのだ。用意された小さな骨壺に修めるために、何度も骨を割らなければならなかった。しかも、骨壺に納まった骨はほんのわずかであった。

骨粗鬆症からほど遠い状態だった、祖母の骨。その生き方の正しさを最後に証明して見せているようであった。