TVっ子?

私が一人暮らしを始めたのは、1984年の4月だった。最初の1年間は、静岡県三島市の三畳一間の部屋に下宿をしていた。お金がなかったこともあり、このとき私が持っていた家電製品は中古で購入したラジカセが一つだけだった…。まあ、お金がないのはお小遣いをためることもしないで、バーベルやダンベルなどのトレーニング器具、格闘技の本やブルース・リーの本などを買いまくっていた自分が悪いのだが…。

ここには他に5人の同級生が住んでいて、そのうち3人はテレビを持っていた。おかげで、どうしてもみたい番組があるときは、彼らの部屋に行って見せてもらうことができた。
当時の下宿生の中には、SONY製のBetamaxというビデオデッキを持っている、ちょっとリッチなやつがいた。当時、ブルース・リーの未公開フィルムを収録したビデオがレンタルされていたことがあり、彼に頼んで見せてもらったことがある。これをきっかけに「自分専用にTVとビデオがあればどんなにいいことか」と考えるようになってしまった。この当時の悶々が今の私の強力な物欲を形成してしまったのかもしれない…。

翌年は東京に移り住み、ほぼ毎日のようにアルバイトをすることができるようになった。それによって、私にはわずかではあったが余裕ができた。
通常ならここで、まず電話を引いたり冷蔵庫を買ったりするところなのだろう。しかし、24回分割で私が購入したのは、Victor製のVHSビデオデッキだった。この製品のCMには石原真理子(現真理絵)さんが出演していて、主要な駅のほとんどに大きなポスターが貼られていたことを記憶している。
購入後、意気揚々と自宅に持ち帰ったのは良かったが、自宅で私を待っていたのは悲しい現実だった。
「テレビがない!」
本当にバカタレ。もうテレビを買う余裕などない。途方に暮れつつ、外に食事に出たのだが、その帰り道、近所のゴミ捨て場に14インチ弱くらいの小さな黒いテレビが捨ててあるのを発見! そのテレビに白いマジックインキで書かれている文字をみると、どうやら近所の個人病院に置かれていたものらしい。小躍りした私は、それを両手に抱え、アパートに持ち帰ったのだった。
早速コンセントにプラグを差し込み、いざ電源オン! すると強烈な「砂の嵐」が…。このテレビには、ラジオのような伸縮式のアンテナが付属していたらしいが、その留め金しか残っていなかったのだ!
一難去ってまた一難。私があたりを見回すと、クリーニング屋からもらってきた針金のハンガーが目にとまった。そこで私は、このハンガーのフック部分のコーティングを破いて、テレビに残されていたアンテナを止める金具に挟んでみた。この金具が回転式であったので、取り付けたあとハンガーの向きを変えるのは容易だった。角度を調整していると、見事に画面に映像が現れたではないか!
「わーい」
と喜んだのもつかの間だった。なんとこのTVは年代物の白黒テレビだったのだ。正直、白黒のテレビは1985年当時でも非常に珍しい存在だった。
まあ、それでも見えないよりはマシ。このテレビは私固有のものとしては初めてのテレビ受像器となった。
私が家にいる間は、このテレビとビデオデッキは常に稼働していたような状況だった。再生されていたのは、友人がテレビから録画した「ドラゴンへの道」というブルース・リーの作品。何百回繰り返しみたことだろう。白黒で…。

数ヶ月後、アルバイト先の上司が訪ねてきて、私の白黒テレビに驚いた。そして彼は、「14インチのカラーテレビを5000円で譲ってやる」といってくれた。時給530円の私には5000円は大金。
「タダでください」
と交渉したものの決裂。それでもカラーテレビの魅力に耐えきれず、給料日にお金を入れるという約束で、数日後に譲ってもらうことになった。これが私にとって2台目のテレビとなる。
1985年の夏のこと。ジャッキー・チェンが主演映画「大福星」のキャンペーンのため、「笑っていいとも!」に出演するという。例の上司に「仕事を休んでもいいから、あの番組に出演してこい!」と命令され、オーディションを受けたことがあった。プロの人たちがたくさん来ていたので、ちょっと無理かと思ったが、運良く受かり、ジャッキー・チェンと一緒にテレビに映る、というまたとない経験ができたのだ。室内アンテナの不調で画質が悪かったことが悔やまれるが、このときのビデオは我が家の家宝となっている(…ウソ)。ジャッキーに会えたのも、当時ビデオをカラーテレビで見ることができたのも、すべてあの上司のおかげといえるだろう。

その後しばらくして、夜中に外を歩いていると、近くの粗大ゴミ置き場になんと20インチの大型テレビが無造作に捨てられているのを発見した。タッチチャンネル化されて間もないころの木目調のデザインで、ステレオスピーカも装備されているので1970年代末の製品だろうか? その日はそのあまりの大きさに持ち帰りを断念したものの、翌日に改めてそこに行ってみると、そのテレビは雨に濡れながらもまだ放置されている。まるで
「連れていって」
と私に話しかけているようだった。
意を決した私はそのテレビを抱え上げた。確かに重くて持ちづらいが、アパートまでは100メートルくらいだ。なんとかなる。
アパートに到着すると、とりあえず外側のぬれている部分についてはきれいに拭き取ってみた。デザインは古いが、とてもきれいなテレビであった。
だか、よくよく冷静に考えてみると、こんな捨てられ方をしているくらいなのだから、このテレビはどこか故障しているのかもしれない。だとしたら
「また捨てに運ばなきゃいかんのか!」
プラグをコンセントに差し込んだあと、私は祈るような気持ちでスイッチを入れた。すると、とてもきれいに映るではないか!
見事にこれが私の3台目のテレビとなった。当時の私にとって、20型ブラウン管は超大型。今日までを振り返ってみても、最も満足度が高かった持ち物の一つだ。
外から拾ってきたものはこれが最後だった(将来はどうなるかまだ分からないが…)。今では、粗大ゴミは申し込み制になっていて、それを勝手に持って行ってしまうと窃盗罪だ。あのころは、私にとってはいい時代だったのかもしれない。

その後社会人となり、89年にはテレビを三菱の29インチに買い換えた。これが4台目。先代は、まだまだ問題はなかったのだが、当時の新製品の魅力に負けてしまったのだった。先代は友人の希望で譲ってあげることにしたので無駄にはならなかった。
この4台目のテレビは長命で、今年の2月まで13年以上も現役だったのである。このころにテレビを購入した友人が何人かいるが、みんな一様に10数年使ったといっている。当時の製品は総じてしっかり作られていたのかな?
この4台目も本当は地上波デジタル放送が本格化するまで現役でいてほしかった。しかし、今年の初めに当時1歳の次男坊がスイッチをカチャカチャやってしまったために、残念ながら調子が悪くなってしまった。50回ぐらいスイッチを押さないと稼働しなくなってしまったため、あきらめて5台目の購入を決意した。

私自身は平面テレビの魅力は感じていたが、別にブラウン管のものでもしかたがないと思っていた。同程度の性能だと価格が倍も違うのだ。
しかし、部屋が狭いという問題もあって妻のほうから「プラズマか液晶がいいのでは? 」と提案してきたのだ。財布のひもが堅い彼女が買う、といっているのだからこれはチャンス! SONY製の「KE-32TS2」という機種を購入することになった。
32インチということでプラズマディスプレイとしては小型だが、同じインチ数でもブラウン管より大きめで、私たちのリビングにはちょうどぴったりだ。
現状の地上波放送を見る分には、先代のブラウン管のほうがはるかにきれいだった。動きがある画面だと、黒い粉のようなノイズが入るし…。それで少しだけ意気消沈したものの、のちにHi-Visionチューナをつないだところ、いっぺんに目が良くなったような錯覚にとらわれるほどきれいに感じた。これは本当によい買い物をしたと思っていたのだが…。

非常に長い前置きになってしまったが、実はここからが本題。
それは昨日の夕方に起こった。風呂上がりの長男がテレビのスイッチを入れてしばらくすると、いきなり「バーン」という大きな音がしたという。気づいたら、いきなり何も映らなくなってしまったのだそうだ。
忘年会に参加していて夜中に帰ってきた私はこの話を妻より聞き、いろいろな面での確認を行ってみた。音は出るのに、本当に画面はまったく映らなくなっている! 購入してまだ10ヶ月も経たないのに、大ショック以外のなにものでもない。
今まで使ってきた各ブラウン管テレビは非常に長命なものだった。初代の白黒も拾った当時で15年以上稼働していたのではないか。3代目も10数年は生きながらえていたはずで、それでもきれいな画質を保っていた。4台目も今年の初めまで13年以上現役で活躍してきた(次男坊のいたずらがなかったら、きっともう少しがんばってくれたはずだ)。それなのに、最新のプラズマディスプレイがなんたるザマか! このままではとても年末年始を乗り切ることができそうにない。

今朝、妻が購入した新宿のヨドバシカメラに電話をかけていた。しかし年末年始の忙しさからか、何度かけてもつながらなかった。
そこで、SONYのサポートセンターに電話をかけたところ、数回でつなぐことができた。そして15日には出張修理サービスによる修理が行われることになった。保証期間内だったので無料である。
今日、明日はテレビを見られないが、まあ2日間ということで許容できる。とりあえず、それで直ってくれればいい。
しかし、気になるのは画面が消えるときのあの「パン」という音だ。テレビの前にいた子供だけでなく、玄関にいた妻にも聞こえたそうだから、そんなに小さな音ではないのだろう。修理しても、また「パン」と逝ってしまうのでは困ってしまう。

そういえば、特にひいきにしているわけではないが、SONY製のAV機器はこれまでに結構購入している。
まずは、1989年に先代の三菱製29インチのTVと同時に購入したレーザーディスクプレーヤー。不調ではあるが、あまり使っていないこともあってとりあえず現役。早めに過去の資産をDVDなどに移す必要があると考えているところ。
次に、同じく1989年の暮れに大阪で購入したED Betamaxのビデオデッキ(EDV-7000だったかな)。購入して数ヶ月で片方の音が出なくなるというトラブルが発生した。これについては少し稼働させたあと、右側を5mmほど持ち上げて、すとんと落とすと音が復活するという訳の分からない故障だった。故障発生時に大阪を離れていたので、修理に出すタイミングを失ってしまったのが残念。今では鹿児島の実家で余生を過ごしている。
1992年の暮れには新婚旅行を前に、Hi-8のビデオカメラを購入した。これは3年目におかしくなり、修理に出した記憶がある。今ではまったく使えない状態で、過去の映像を見る機会を失ってしまっている。修理すべきかな…。
さらに、ED Betaの最高峰、EDV-9000というビデオデッキ。これは3年目くらいから画面にノイズが入るようになり、これはクリーニングテープを使っても解決することができない。今ではテープの出し入れがほとんど不可能になり、修理に出そうかどうか迷っているところ。Betamaxが昨年製造中止になったことを考えると、今のうちに過去の資産をDVDに焼いてしまわないと困ったことになりそうで…。
1996年には、VX-1000という、放送局でも使われるようになったデジタルビデオカメラを購入した。こいつも購入後数ヶ月で録画したデータにブロックノイズが入るようになり、その後少しずつ中央部から曲がってしまって修理に出すことになってしまったのだった。しかし、SONYのほうからは外力がかかったことが故障の原因と判断され、数万円の修理費が必要となってしまった。
修理後、このカメラは売却し、パナソニックの小型カメラに乗り換えた。画像がきれいだっただけに、惜しいことをしたような気がする。

そして、今回のプラズマテレビ。SONY製品とのつきあいは、故障とのつきあいだったようにも感じられる。保証期間内に壊れてしまったのも3台あるし。
それでもなぜか、SONYのAV機器にはとても魅力があるのだ。今回のプラズマディスプレイにしても、妻は隣に置いてあったSANYOの製品がいいと主張していた。しかし、私は
「買うならSONY!」
といって譲らなかった。でも、もしSANYOにしていたら、今頃年末年始にテレビを見られないかもしれないという恐怖にさらされることはなかったのかもしれないが…)。また、ビデオカメラもHi-Vision対応が出そろったら、SONYを選択することになるだろう。

今回修理が完了したら、プラズマテレビくんにはせめて3年は稼働してほしいと思っている。今後は決して「パン」という大音響とともに逝ってしまうことがないように…(でもこの音だけは気になるなぁ)。