サバット(La Savate)

La Savate. 私がこの名前を初めて目にしたのは、1980年に福昌堂から発売された「ソウルファインティング 魂の武器―截拳道への道 ブルースから全ての闘う男たちへのメッセージ (1980年)」という書籍の中にある、著者ブルース・リーのメモが初めてだったと思います。同じ頃、父が買ってきてくれた「わがカラテ日々研鑽 (1980年)」に大きな影響を受けて、大山倍達先生の書籍を買いあさったのですが、その中にはフランスの格闘技「サファーデ」という名前があって、きっとブルース・リーのいう”La Savate”と大山先生のいう「サファーデ」は同じものなのだろうと子供心に理解していました。私自身は、ブルース・リーのメモから、この格闘技のことを「サバテ」と呼んでいましたね。その後、日本の格闘技雑誌でも紹介されるようになりましたが、「サバット」という記載で統一されているようです。

かつてのK-1チャンピオンアーネスト・ホーストもサバットの選手だったという話を聞きます。技術もレベルが高く、選手層も厚いのでしょう。

そのサバット、exfit TVでさまざまなコンテンツを積極的に撮影してきてくれるIくんが取材してきてくれました。

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ストレートリード

ストレートリード

映画俳優で、武術家としても評価を得ているブルース・リーが創始した武術「截拳道(Jeet Kune Do/JKD)」。その核心となる技がこの本のタイトルにもなっている「ストレート・リード」と呼ばれるパンチです。

このパンチについて、ブルース・リーの弟子の一人であったテッド・ウォン師夫の弟子であるテリー・トムさんが独自研究によってまとめられています。

截拳道は創始者が道半ばにして亡くなったため、残された後継者によってさまざまな解釈で現在も発展しています。著者は現在知られる截拳道が、ブルース・リー・オリジナルのものではなくなってしまったので、それを修復する作業のファーストステップであると主張しています。

その主張の是非については、すでに創始者本人がこの世の人ではないため、正直なんとも言えません。ただ、「截拳道はなんでもありの寄せ集め武術」的なものではなく、時間をかけて検証され、構築されたシステム・技術が存在するのだということを明らかにしていることは興味深いです。もちろん、日本では格闘技雑誌などで再三特集されているので、多くの武術関係者が認識していることだとは思いますが。

さて、その技術的な分析です。テッド・ウォン師夫はブルース・リーの最晩年の技術を継承しており(いわゆるファイナル・ステージ)、それを保存していく義務があると主張されています。もしそれが本当であるならば、ブルース・リーは最晩年には中国武術の技術体系をすべて捨ててしまったことになると思います。それくらい、この書籍はフェンシングとボクシングの技術に焦点を絞ったものになっています。その根拠はテッド・ウォン師夫が直接ブルース・リーから教授されたものに加えて、最新のブルース・リーのメモと、彼の蔵書の本人のマーキング内容にあるようです。

しかし、この考証には重大な部分が抜け落ちていると私は考えます。彼がそれ以前に習得していた中国武術の体の使い方をボクシングやフェンシングの戦術や体術にどう反映しているか、「截」はもともとは中国の攔截を元に発展したはずなのに、その技術体系に関する記述がない、という点です。線や面などの動きを使って「截」を実現する中国武術的な技術に触れず、離れたところからポイントを狙い合う多分に西洋的な武術に完全に様変わりをしてしまっているのです。これを洗練した、と解釈する人もいるでしょうけど、中国武術の発達の歴史を考えれば逆行ととらえる人もいると思います。

この書籍によれば「ブルース・リーはファイナルステージで詠春拳を捨ててしまった」そうですが、それは実用的でないと気づいたからだそうです。これが本当だとしたら、それはちょっと短絡的に過ぎると私は思います。だとしたら、詠春拳はアメリカであんなに普及しなかったでしょう。逆に修行が足りないのを、術のせいにしている、と言われてもしかたがありません(私は決して、そう思っての発言ではないとは思います。兄弟子に書いた手紙で、「詠春でさえ、畳の上の水練だ」みたいなことを書いていましたけど、全部を否定しているわけではありません)。

基本、ブルース・リーが詠春拳から截拳道に大きくシフトしたのは、1964年の戦いでブルース・リーが背を向けて逃げる相手を詠春拳の技術ではとらえきれなくて、倒すのに数分かかったからだといいます。でも、私はこの話を少年時代に聞いて以来、未だに違和感があります。彼はそれまでその技術で数多くの対戦相手を葬ってきたわけです。たった一回そういうことがあっただけで、「こりゃ全部ダメだ」って思うでしょうか? ※

だいいち、背中を向けて逃げる相手を追う技術? 護身のためならそのまま戦いを終えて安全なところに退避すれば良いし、どうしても戦いたければ(?)走って追っかけるだけですよ。詠春拳に限った話ではないです。

彼が詠春拳を捨ててその技術体系をボクシングとフェンシングに置き換えた、という話になると、一定以上中国武術を修行したことがある人なら違和感を覚えるところではないかと思います。なぜなら、最晩年に作られた彼の映画の中にも、中国武術の体の使い方が色濃く見られるからです。一見大げさに、ボクシング的に放たれている彼のパンチでさえ、高度な中国武術の体の使い方を伺わせています。私は、テッド・ウォン師夫の動きはDVDと動画でしか拝見したことがないのですが、根本的な力の生み方に差があるように感じられます。ブルース・リーには中国武術の確固たる基礎が感じられますが、おそらくテッド・ウォン先生にはそれがありません。逆に言えば、テッド・ウォン先生はブルース・リー以上に「ファイナル・ステージ」なる截拳道を突き詰められた実践者といえるのかもしれません。ただ、仮にファイナル・ステージという段階があったとしても、そこに至るまでの過程が違えば、似たような型に見えても、両者は質の異なったものになるであろうことは想像に難くありません。

ジャック・デンプシーのパワー・ラインについては、ブルース・リーもマークしていたようですが、実は私も四半世紀以上も前に大学の図書館から借りたこのデンプシーの著書を写本したので、強い思い入れがあります。しかし、ブルース・リーが長く学んだ詠春拳も、同じ拳の使い方をすることでパワーを増幅しますし、実際にジョーン・リー氏主催のトーナメントで体の大きな師範代を相手に見せたワンインチ・パンチに関しては、体軸の前傾も使わず、詠春拳的な「パワー・ライン」をかなり使っているように見えます。

こんなこともあって、このストレート・リードがなぜその「東洋的な」部分に触れていないのか不思議な気がしました。多分にフェンシング的な長距離砲だけについてのみではなく、ショートパンチについても触れた資料ですので、そこでどうやって彼が威力を増幅していたのかについてはここに出てくるジム・ドリスコル、ジャック・デンプシー、アルド・ナディの論だけでは説明し切れていません。ただ、詠春拳の場合はリードパンチ、リアパンチの区別がほとんど明確ではないので、論理的な結びつけは確かに難しい部分もあるかもしれません。

私は10代の初めに「魂の武器」、中頃に「秘伝截拳道への道」という書籍を入手しています。このとき、彼のメモと実際の彼の動きが必ずしもリンクしていないことに気づきました。彼自身自分の資料に書籍の内容を引用しているけど、彼自身はその通りの姿勢を必ずしもとっていないわけです。このとき私が考えたのは、確かに彼はそういった格闘技の資料を参考にし、自分の技術の向上に役立てたとは思いますけど、決してそのまま採用したわけではなかったのだろう、ということです。

たとえば、今でもはっきり覚えているのは「顎と肩が中途で出会う」(顎を少し下げ、肩を少し上げることで顎を守り、緊張を最小限にする)構えについてです。10代の後半、これを読んで「おお、いいじゃん」と思って自分もやろうとしたのですが、いざ彼の映画や当時公開されていた多数の写真を見て、「ん、リーさん、全然そんな姿勢も取っていなければ、打ち方をしていないじゃない?」ということになってしまいました。死亡遊戯の池漢戴戦でその大げさな表現が見られるくらいでしょうか? まあ、こういった小さな疑問点もその後中国武術を学んだことで少しずつ解消されていくわけですけど、これはあくまでその当時に感じた一例で、彼の資料やメモと、彼が残した資料やパフォーマンス映像は必ずしも一致していないと思うわけです。

なので、この書籍もブルース・リーの後期の考え方を知る資料の一端として、とても役立つものであると思いますが、これがすべてであるとは思いません。演者のフォームを見ていても、ブルース・リーのフォームというより非常に特徴のあるテッド・ウォン師夫のフォームですし、テリー・トムさんはそれを忠実にコピーしている印象があります。やはり、どんな体系であっても、その人の中を通ることによって、さまざまな変化が生じるのは仕方がありません。例えば、私が直接的に知っている武術の例だと、剛柔流空手。同じ先生から指導を受けたはずの各師範の動きは微妙に違います。その下の代になるとさらに差異が発生しています。でも、みなさん同じように、先生に習ったことをそのまま教えている、と自負されているのです。今回はテッド・ウォン師夫系の書籍ですけど、これはダン・イノサント師夫系の伝承についてももちろん言えることだと私は思っています。

※ ブルース・リーが大きく方向転換した理由としてもう一つ、葉問師夫とのトラブルがあるのではないかと言われています。

1965年に香港に帰省したブルース・リーがアメリカの友人、弟子たちに書いた手紙を見れば、当時彼がどれだけ葉問師夫と詠春拳に傾倒していたかが分かります。これは、上記の逃げる相手を仕留めるのに苦労した1964年の話よりあとのことなのです。しかし、この帰省中に、ブルース・リーは葉問師夫に失礼な要求をしてしまったことで、厳しい叱責を受けることになります。日本流に言えば「破門」でしょうか。彼が詠春拳を離れ、独自の武術に向かうきっかけとなったのではないかというもう一つのエピソードです。

その後5年以上を経て彼は香港に戻り、彼の直接的な師匠(葉問師夫の弟子)とスパーリングをしたという逸話があります。すでに亡いその師匠の弟子に当たる人がインタビューでその目撃談を語っていましたが、その師匠はブルース・リーの蹴りに翻弄され、突きがめちゃくちゃになっていた、とのことでした。ブルース・リーの截拳道に否定的な詠春拳サイドの人の証言なので、信憑性はあると思います。自分なりの方法論で高度な「截拳道」で、過去の「詠春拳」を克服したブルース・リーは非常に優れた、努力の人だったのだと思います。その遺志を継承されているテッド・ウォン師夫やダン・イノサント師夫の功績は多大だと思います。それぞれ派閥にはなっているみたいですけど、これってある意味しかたがないと思います。何も截拳道に限ったことではないですから。それぞれの団体や門下の方々の今後の活躍に期待いたします。

熱い炎・最強への挑戦 (1982年)

熱い炎・最強への挑戦 (1982年)

以前検索したときには出てこなかったのですが、今日検索したらヒット! 古書も常にデータベースに追加されているんですね。スポーツライフ社の書籍は当時何冊も出ていて、有名な空手の師範、キックボクサーなどの本を私はほとんどすべて購入したのではなかったかと思います。おいおい、このコーナーでも取り上げていくつもりです。
この『熱い炎・最強への挑戦 (1982年)』は、私に大きな影響を与えた書籍としては5本の指に入る書籍ではないかと思います。それまで、大山倍達先生の著書を何冊も読んでいたのですが、実際には別のライターさんが記述していたらしく、楽しめる反面どこか現実感のなさを感じることが多々あったことを覚えています。
しかし、この書籍は違いました。ご本人が書いたのか代筆なのかはわかりませんが、等身大の格闘技選手の経験が素直に書かれている感じで、話がとてもリアルに伝わってくるのです。日本チャンピオン、世界チャンピオンになるためには、これだけのリアルな努力の積み重ねをしないといけないのだ、と自分の努力不足を反省させられたり、この人のようになってみたい、という気持ちを抱かせる書籍だったのです。また、すごくスマートで賢いというのか、大人のクールさという雰囲気も持ち合わせているかのような印象も受けました。何十回読んだかなあ。

その後K-1のチーフレフェリーとして活躍される姿を何度か拝見したのですが(レフェリング中、間違えて選手を膝蹴りしてダウンさせたこと、なかったでしたっけ?)、最近はあまりメディアではお見かけしませんが、現役時代の映像を収録したDVDなどもあるようですので、改めて購入してみようかと思います。

拳法教程 (1978年)

拳法教程 (1978年)

Amazonのほうで検索して、なんか引っかからないなー、と思っていたら、なんと本のタイトルが『拳法教程 (1978年)』ではなくて『挙法教程』になっている…。一般的にはよくある間違いなんですけど、Amazonにもあるんですね。
さて、このタイトルの「拳法」とは澤山宗海先生が創始された「日本拳法」のことです。この武道からは過去にキックボクシングやボクシングのチャンピオンが何人も輩出されていますが、彼らの異常なまでのストレートパンチの強さが記憶に残っています。たとえばキックボクシングの猪狩元秀先生などは現役時代に勝利した試合の実に9割ものKO率を誇っていたと言われます。そのストレートパンチは空手やボクシングほどひねるものではなく、ちょうど45度ほどに倒した拳で相手を突くものだったらしいのですが、それはおそらく日本拳法の「縦拳突き」に由来するのではないかと思います。しかも、基本フォームを見てみると、肩からではなく体の中心からまっすぐ突きを出すようにしているのがわかります。これは、私が過去に勉強した香港の詠春拳も同じですし、その詠春拳をベースにブルース・リーが創始した截拳道(JKD)においてもその影響が色濃く見られます。詠春拳は胴体をあまり回しませんが、日本拳法ではしっかり肩を入れて打っているように見えます。

この書籍は手帳サイズで、携帯できるようになっているのですが、その中にかなりの情報を詰め込んでいるので、活字が極端に小さくて読みにくい、という弱点も…。しっかり読もうとすると結構疲れますね。しかし、組み手写真などでは若い頃の猪狩元秀先生と長江国政先生がモデルをつとめており、これは貴重な一冊だと思います。

私は1989年12月にこの書籍を古書で入手していますが、この時期は大阪に住んでいた頃です。近くの古書店がこれはまたすごくて、ブルース・リーの貴重な香港雑誌や武道の本がわんさとおいてありました。ここぞとばかりに買いまくったことを覚えています。

白鶴門食鶴拳―秘拳

白鶴門食鶴拳―秘拳

おそらく『白鶴拳―少林禅寺正統』の著者の老師(先生のこと)ではないかと思います。
白鶴門の四大拳、「飛鶴拳(飛ぶ)」「鳴鶴拳(威嚇する)」「宿鶴拳(休む)」「食鶴拳(食べる)」のうち、食鶴拳にスポットを当てた書籍です。白鶴拳は、日本で太気至誠拳法を始められた故・澤井健一先生の老師が興した意拳(大成拳)にも大きな影響を与えたと言われますが、これらは激しい実践的な組み手を行う門派としても知られています。
やはり、当時習っていた詠春拳に似たところがある、ということでとても参考にしていたことを覚えています。今は絶版なんでしょうか? かなりの額まで高騰していますね…。
この書籍の著者である劉銀山老師は、この書籍以外にも、中国武術系雑誌で型や実技を公開されていましたが、型も分解もとても興味のあるものでしたね。

著者は漢方医ということもあり、いろいろな症状に対する漢方薬の処方が掲載されているところも興味深いところです。

白鶴拳―少林禅寺伝正統

白鶴拳―少林禅寺伝正統

私の高校時代、空手道部は毎年全国大会に出場するような強豪の一つだったので、部活の練習だけでは足りずに夜は師範の道場に通うこともしばしばでした。その道場には、東恩納寛量先生、宮城長順先生、比嘉世幸先生の大きな写真が飾ってありました。
師範の話では、東恩納先生が剛柔流流祖、宮城先生が剛柔流開祖、比嘉先生が範士ということでした。また、東恩納先生は中国に渡りリュウリュウコウという先生に習ったとのことで、宮城先生も中国で修業したことがあるとのことです。
それまでにも空手関係の書籍を読み、空手とは沖縄にもともと存在したとされる「手」が中国武術の影響を受けて発展したものだ、という認識はありました。剛柔流空手の成立に中国武術が深く関わっているとなれば、当然その中国武術にも興味がわいてきます。後に私が詠春拳という中国武術の一つを習うことにしたのは、ブルース・リーが最初に習った拳法だから、という理由もありますが、大学時代に見た詠春拳の術技の写真が剛柔流空手に似ていた、ということもあります。実際習ってみると両者は全く別物でしたが、戦い方についてはちょっと似ている部分もありましたね。というか、詠春拳をやってみたことで逆にわかったこともたくさんあったと思います。
その後、中国の書店で購入した『福建鶴拳秘要』という本があり、これは剛柔流空手に酷似していました。サンチンやセーサンの型で両手を前に出して構える姿勢に近い分解写真が紹介されています。三戦立ちの足の角度、少し低い拳の位置など、違いはありますが、「これが剛柔流空手道の源流なのでは?」と思ってしまいました(実際、そううたっている団体もあります)。
そして、この白鶴拳。私が習った香港の葉問系詠春拳にはない動きがたくさん含まれます。特に、葉問系詠春拳には両足を前後に開く子午馬、左右に開く二字箝羊馬、側身馬はあるのですが、相手に対して前後左右に開く、空手の三戦立ちのような立ち方がありません(実際の動きの中では似た形になるかもしれませんけど)。
この白鶴拳にも不丁不八歩という空手の三戦立ちに似た立ち方が紹介されています。数々の基本動作がこの立ち方で行われているところをみると、白鶴拳の代表的な立ち方なのでしょう。しかし、空手では両足を踏ん張りますし、上述の『福建鶴拳秘要』の姿勢もそのように見えます。それに対しては白鶴拳の立ち方は柔らかく立っている感じでその点では葉問系詠春拳とも似ています。ただ、腰をまっすぐ落とすか、前に出すかという点では、『福建鶴拳秘要』の横から見た姿勢と葉問系詠春拳の横から見た姿勢、および剛柔流空手道の三戦立ちは似ている感じがしますね。また、白鶴拳の型の分解は葉問系詠春拳の技とかなり似ているように感じます。逆に推手に関しては私が習った剛柔流空手道のカキエという練習法にそっくりです。また白鶴拳の套路(型)には私が剛柔流空手で習った型にかなり似た姿勢もありますね。
また、興味深かったのは、福建鶴拳でも、この書籍で紹介される白鶴拳でも、引き手を脇の下にとるような技術が一つも紹介されていないことです。詠春拳や剛柔流空手道の場合は型はもちろん、引き手を脇の下において行う練習は多いです。剛柔流空手道の場合は対人での分解練習もそう。ほかの中国武術の対人技術紹介でも、腰に引き手をとっていることが多くて、格闘技術の適用方法としては疑問を感じることが多いです。
それに対しこの書籍では、対練は基礎的なものしか紹介されていませんが、見る限り非常に実用に持って行きやすいものだと思います。急に危機的な状態になったとき、すぐにとれる姿勢での攻防だからです。

健康のために? 改めて何らかの武道を習いはじめようなどと考えているのですが、なんか習いたいことがいっぱいあって収集がつかなくなってきた…。結局なにも始められないいいわけになってしまってはいけませんね。

沖縄空手剛柔流

沖縄空手剛柔流

現在、高校時代に習った剛柔流空手の練習内容を改めて整理しなおしているところですが、すでに卒業後23年も経過していることから記憶がはっきりしない部分があります。
ネットで検索したり、いくつかの書籍に当たったりしたのですが、私が初めて習った型の普及型第一、その次の普及型第二という型がどうもみつからないのです(剛柔流開祖 宮城長順先生創作の撃砕第一、撃砕第二をもっと簡単にしたような型です)。また、先輩方が鹿児島の地方大会で演じていた撃破第一、撃破第二という型、私が得意とした鶴破第一、習うことがかなわなかった鶴破第二という型もなかなか見つからない。鶴破第一は、私が日本大学文理学部体育学科(当時)を受験する際に、受験科目の一つとして自分で選んで演じたこともある思い入れのある型です(合格したのに、体育科には行かなかった…)。
撃破については金城嘉孝先生により月刊空手道に紹介されたことがあるということはネット検索で見つかりましたが、鶴破に至っては唯一、渡口政吉先生の尚礼館(尚礼舘)で教えられていた、という情報が見つかっただけです。

そういえば、1990年頃にも、自分が習った空手を整理しようと試みたことがあり、その中の書籍に尚礼舘に関する書籍があったような気がしました。そして見つけたのがこの『沖縄空手剛柔流』です。
ここに、撃破第一、撃破第二、鶴破第一、鶴破第二という型が渡口政吉先生により創作されたという記述を見つけることができました。渡口先生は8つの普及型を作り上げたそうです。宮城長順先生の撃砕第一、撃砕第二と合わせて普及型が10個になるとのこと。

高校の空手道部は比嘉世幸先生の系統で、母体となる道場も尚礼舘ではありませんでした。また、少なくとも鶴破一は、微妙な差はあってもほかの剛柔流系の空手道部の生徒も演じていたことを記憶しています。空手界の横の交流によって伝わったものでしょうか?
ちなみに当時私が所属した空手道部もしくは師範(監督)の道場、本部道場で練習されていたのは以下の型でした。

【普及型】
(1) 普及型第一 ○
(2) 普及型第二 ○
(3) 撃砕第一 ○
(4) 撃砕第二 ○
(5) 撃砕第三 ○
(6) 撃破一 ○
(7) 撃破二 ○
(8) 鶴破一 ○
(9) 鶴破二

【古式の型(と部内では呼んでいた)】
(1) 砕破 (サイファ) ○
(2) 征遠鎮/制引戦 (セイエンチン) ○
(3) 十三 (セイサン)
(4) 十八 (セイパイ) ○
(5) 三十六 (サンセイルー)
(6) 士壮鎮/四向戦 (シソーチン)
(7) 久留頓破/来留破 (クルルンファー)
(8) 一百零八 (スーパーリンペイ)

【鍛錬型?】
(1) 三戦 (サンチン) ○
(2) 転掌 (テンショウ) ○

○が付いている型は私が高校時代に習うことができたものです。
撃破一、撃破二は記憶が曖昧で、多分自分が今通してできている(体が覚えている)のは撃破一のような気がします。これは識者に確認しないとわからないですね。鶴破一は今でも動きを覚えています。
渡口先生の門下では「鶴破第二」のあとに「白鶴」という型もあるようです。
このほか、本部道場の館長が鹿児島県大会の型試合用に送ってくださった「龍拳」「虎拳」という型もありましたね。はっきりと記憶していないのですが、前者は鹿児島の県大会、後者はそのあとの九州大会以降で演じた記憶があります。今では実演可能な型が制定されているはずで、このような創作型で大会に出るようなことはありえません。当時の私たちも受理こそされましたが、翌年からは一般的に認知された型でエントリーするように言われた記憶があります)。これらの創作型はクルルンファーとスーパーリンペイから一部抜き出した技術を組み合わせたもので、難度が高く、残念ながら私も部分的にしか記憶していません。

とりあえず、この書籍で撃破と鶴破についての記述を見つけることができ、ちょっとほっとしました。

また、この書籍の重要なキーワードとして「解裁」という言葉があります。古流型の各動作を先人が意図したと思われる実用法として、2人で行う組み手に再編成し直すことだそうです。もちろん私たちもその一部は習いましたが、たまたま私たちが習った解裁は、この書籍では「誤った解裁の例なのだそうです。型を見たままの分析しかしなければ、本当のことはわからないといいますが、でもある程度まで技量を高めた方々がそれぞれ違う解釈をされているというのは、「型がどうにでも解釈できる」という特徴を持っていて、「本当はなにも隠されていないものを発見したように勘違いしてしまう」危険もあるのだということだと思います。

※ 高校時代の私たちは「かた」のことを「形」と表記していましたし、高校の競技でも「個人形」「団体形」と表記するようですが、「型」と表記する場合も多いし、私はそちらのほうがしっくりくるので「型」と表記しました。

空手道入門 (1977年)

空手道入門 (1977年)

最近のこのコーナーの傾向を見ておわかりかもしれませんが、最近になって昔入手した空手道関連の書籍を次々と引っ張り出しては読む、ということを繰りかえしています。
前回もかなり古い書籍でしたが、今回はその10年後に出版された書籍です。題名は同じですが、こちらは当時は30代の、若手ともいえる先生方の共著で全く別物です。
松濤館流空手道の書籍とあって、貴重な船越義珍先生の昭和5 – 27年頃の模範写真・指導写真3枚が掲載されていたのが興味深かったです。
少し前に『義珍の拳』を読みました。この読み物には義珍先生本人の技術と後世に伝わる技術が乖離していたという見解が書かれているので、この写真からそれが確認できないか、凝視してみたのですが…。残念ながら、実際に演武していた写真は2枚しかなかったのでそれを確かめることはできませんでした。

それぞれの写真は大きくはないですが、13種類の型が紹介されており、対人の分解もなかなか豊富です。

私がこの書籍を見て一番驚いたのは、私が高校時代に所属していた空手道部の体力作りカリキュラムが、この書籍に紹介されているものとほとんど全く同じだった、ということですね。私が習っていた空手の技術そのものは剛柔流だったのですが、当時の先生が小林流でも7段位くらいまで持っていた先生だったので何らかの接点があったかもしれません。あるいは、先生もこういった書籍を参考にしていた可能性もあります。ストレッチをのぞき、今はほとんど行わなくなってしまった鍛錬法ですが、とても懐かしく思いました。